予防接種は秋月藩から始まった
キャンペーン

ホームへ戻る

「春朔会」


1 春朔会30周年にあたって

手島 仁

   「伝統、30年」という言葉があります。なにごとも30年続けば、それが伝統であるかのように見なされる、ということでしょう。この春朔会も結成以来、30年が経ちました。初めての家族旅行で、オムツをつけたまま海にはいった0歳児も、ひとりは成長して患者さんを診察しています。もうひとりの0歳児は人の子の母になっています。
春朔会発足当時(秋月城址緒方春朔顕彰碑の前)
1974年発足当時の「春朔会」会員
秋月城址緒方春朔顕彰碑にて
武井一剛 富田英壽 田中泰博 久賀興亜 手島 仁
 久賀征哉 熊本煕史    
 会の名前は、むかし甘木市秋月にいた緒方春朔からとりました。200年以上前、日本で初めて種痘に成功し、そのことを本にかいた医者です。かれの偉業を称え、誇るべき同郷の先輩にあやかろうと春朔会としたのです。会員一同揃って春朔のお墓参りをしたこともありました。ことしは、ゆかりの地に石碑を建てて、多くの人に春朔のことを知ってもらい、偲んでもらおうと考えています。

 平成2年には、うちの医師会主催、緒方春朔の種痘成功200年記念顕彰事業で、この会員たちが実行委員になりました。なかでも耳鼻科、富田英壽先生は日本医史学会(全国大会)や、薬学会(全国大会)で講演し、春朔のホームぺージも立ち上げ、その実行委員長としての重責をみごとに果たしました。この会も、長く続いたものだと思いますが、設立立案者であり、リ-ダ-である富田先生のお人柄と統率力のお蔭です。会員全員も永続のために努力しました。ことに奥様方はみんな仲が良く、強い結束力を誇っています。
 この30年の間にはいろいろあって、久賀征哉先生は「風に吹かれて」という詩的な表題の本を世に出しました。「あぶだ春朔」という有高扶桑著の短編小説も昨年、鳥影社から出版されています。これは作者有高氏が富田英壽先生に話しを聞き、関係書を与えられたから書けたと述べています。ついでながら、富田先生は今年2月に「その時々に心を込めて」という本を出して評判になりました。不幸にして久賀征哉先生は亡くなりました。残る会員のなかにも、寄る年波には勝てず体調のすぐれない者も居ります。そこで、一応の区切りをつけて、今回、記念パーティでも開こうかという事になり、軌跡の記録として記念誌を出すことになった次第です。

 この会がこれで終わりということではなく、今後いつまでも会員、家族が途切れることなく、仲良く付き合っていきたいものだと願っています。

平成16年9月1日


2 記念誌『緒方春朔顕彰の歩みー春朔会30周年記念誌ー』出版発行

まえがき
 天然痘、或いは痘瘡(とうそう)、庖瘡(ほうそう)と言われる病に罹患した人を、今日では、目にすることが出来ない。春朔会30周年記念誌

 しかし、江戸時代までは、繰り返して、この疫病が流行していた。当時、死因のトップは痘瘡だっただろうとさえ言われている。俳人の一茶も、「這え笑え、二つになるぞ今朝からは」と詠んで可愛いがった娘を、庖瘡で喪い嘆き悲しんでいる。ひとたび、この病に感染すると、たとえ運よく死は免れたとしても、醜い痘瘡の療痕から解放されることは無かった。世間に自惚れとカサ気のない者はいないと言われたほどだったが、カサ気とはこの痘痕のことだったらしい。評判の小町娘も、不運な痘瘡後は別人のような顔になり、両親を嘆き悲しませることになる。「痘神に惚れられ、娘値が下がり」など、古川柳には痘瘡のことを詠んだ句が多い。ことほど左様に、世間に広く蔓延(まんえん)した疫病だった。失明して座頭(ざとう)や替女(ごぜ)になるなどの過酷な運命を強いられた者も多く、人々は恐れおののいて、数限りない迷信や怪しげな信仰に走った。神頼み、仏頼み、お祓い頼みの他には、漢方医でさえ、誰も、為すすべを知らなかった。天然痘は、まさに恐るべき疫病だったわけである。

 この時代にあって、緒方春朔(おがたしゅんさく)は外国の書物や文献を徹底して調べ上げたうえで、独自の種痘法を成功させた。

 しかも、その方法を自分だけの秘伝とすることなく、本に纏めて発表した。まさに、未だ病まざるに癒すという、公衆衛生の究極の理想を人々に先駆けて実践した偉大な人物である。

 この、甘木・朝倉の地域医療に絶大な貢献をなした、大先輩の業績を評価し、多くの皆様にその詳細を広く知ってもらうのが、我々の使命であると感じていた。そこで、我々が共に集い、彼について語り、調べ上げたことを記録した。

 幸いなことに、このグループには、耳鼻咽喉科の富田英壽先生という得難いキイ・マンがおり、すべての舵取りは彼にお願いした。 彼は全日本医史学会・全日本薬学会で講演し、その他にも、いろいろな機会を捉えては緒方春朔の業績を各方面に紹介してきた。

 春朔の名前を冠した我らの会も、創設以来、年を経て物故者も出ている。残るメンバーにも、内服薬を手放せない者が増えてきた。そこで、発会30周年記念を一つの区切りとして、この本を世に出すこととした。

平成16年9月1日

手島 仁 

3 春朔会30周年記念碑建立

「我国種痘発祥之地秋月」石碑  春朔会30周年記念にあたり、「我国種痘発祥之地秋月」の石碑を、秋月の黒門茶屋ご主人のご理解をえて、杉の馬場通り黒門茶屋前に建立した。これは秋月を訪れる多くの観光客に、秋月が種痘発祥の地であることや緒方春朔が種痘の始祖であることを知ってもらうため、また、地域の子供たちにこのような偉人がでた郷土に誇りを持ってもらうために建立されたものである。 平成16年7月31日(土)午後4時より黒門茶屋前で除幕式が挙行された。

西日本新聞記事

4 春朔会30周年記念祝賀会

 春朔会が30周年を迎えるにあたって、記念祝賀会を平成16年7月31日(土)、ホテル・センチュリーヒルズにて、午後6時より開催した。出席者は会員をはじめ子供、孫などを含めて40名であった。

 春朔会の30周年記念碑を秋月は黒門茶屋の一角に建立したので、午後4時から現地にて除幕式を行い、そのあと場所をホテルに移して記念パーティを挙行した。

   春朔会


5 春朔会々員名簿(昭和49(1973)年7月発足時会員) 


 手島 仁(昭6.11.22生) 手島眼科医院 朝倉市杷木寒水5
 熊本煕史(昭10.12.8生) 熊本医院 朝倉市三奈木2736
 富田英壽(昭12.2.3生) 富田耳鼻咽喉科医院 朝倉市甘木1971ー2
 久賀興亜(昭15.7.6生) 久賀外科医院 朝倉市大庭5390ー12
 田中泰博(昭16.5.13生) 田中医院 朝倉郡筑前町中牟田234
 久賀征哉(昭17.1.1生)久賀医院 朝倉郡筑前町栗田1414
 武井一剛(昭21.3.28生)武井医院 朝倉市馬田1090


6 「春朔会」役員名簿(2014.7.1現在) 


 会長  富田英壽(富田耳鼻咽喉科医院)
 副会長 手島 仁(手島眼科医院)
 副会長 熊本熙史(くまもと内科医院)
 理事  熊本正史(くまもと内科医院)
 理事  手島靖夫(手島眼科医院)
 理事  富田和英(富田耳鼻咽喉科医院)
 理事  山部仁子(武井医院)

▲トップへ / ホームへ戻る

平成26年7月1日

「予防接種は秋月藩から始まった」キャンペーン推進協議会

推進幹事団体: 緒方春朔顕彰医会 / 天野甚左衛門顕彰会 / 秋月郷土館友の会