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其之壱−「春朔の生い立ちについて」
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3.調査資料

瓦林清右衛門系図(久留米藩御家中略系譜巻九より)

 久留米市立図書館収蔵の久留米藩士系図である『御家中略系譜』と『中扈従御徒士略系図』に、久留米藩士瓦林家と小田村家の系図を見つけることが出来た。

4.調査結果

 『御家中略系譜巻九』Bによると久留米藩士瓦林忠左衛門の次男に「瓦林清右衛門」(初竹三郎、新兵衛、帰参後甚吾)とある。「小田村甚兵衛養子有故国退筑前秋月領四三嶋村住梅林寺依願帰参兄丹次役价天明元年九月病死」とあることから瓦林清右衛門は、小田村甚兵衛の養子になったことが分かる。
小田村甚兵衛なる人物を『中扈従御徒士略系図二』Cで調べてみる。
久留米藩士弐百石御馬廻締奉行小田村甚左衛門の子が小田村甚兵衛で、その子に「小田村甚吾」(初名清右衛門、實御馬廻瓦林忠左衛門男、妻養父甚兵衛女)とある。
以上のことより瓦林清右衛門は小田村甚兵衛の養子となり、「小田村甚吾」と名のり、小田村甚兵衛の娘(名不詳)と結婚したことが分かる。
瓦林清右衛門系図(久留米藩御家中略系譜巻九より)

5.考察

小田村甚吾系図(久留米藩中扈従御徒士略系図二より)  緒方春朔の父親は、小田村甚吉なのに何故、瓦林清右衛門とされていたのか。
秋月藩士の系譜である『秋府諸士系譜』に、緒方春朔の父親は、婿養子になるまえの名前(初名)瓦林清右衛門の二男と記されているD。 従ってこれから引用されたためではないだろうかと考える。
 浅野陽吉が資料として使った秋月緒方家記録とあるのは恐らくこの秋月郷土館蔵『秋府諸士系譜』であろう。瓦林清右衛門の二男と記されているE。
 では、秋月藩士の系譜である『秋府諸士系譜』に、何故瓦林清右衛門の二男と記されたのか。小田村甚吾(初名瓦林清右衛門)の瓦林家の先祖が、秋月藩士宮崎舍人の妻で秋月家中にいたBのが関係があるのではないかと思われる。
小田村甚吾系図(久留米藩中扈従御徒士略系図二より)

6.まとめ

瓦林清右衛門が小田村甚兵衛の婿養子となり、小田村甚吾と名のる。小田村甚吾と小田村甚兵衛の娘との間に二人の男子ができ、長男清次郎は早世し、次男は栄三郎と名のる。この人が春朔である。後に久留米の医家緒方家に養子に行って緒方春朔と名のる。 したがって緒方春朔の父は「小田村甚吾」で、母は「小田村甚兵衛の娘(名不詳)」である。

文献:
@富田英壽『種痘の祖緒方春朔』35頁、西日本新聞社、2005
A柴多一雄「緒方春朔と秋月藩」甘木朝倉医師会編『シンポジュウム「種痘の始祖・緒方春朔先生に学ぶ」講演記録集』8頁、甘木朝倉医師会、1990
B『御家中略系譜』巻九、久留米図書館蔵、年代不詳
C『中扈従徒士略系図』二、久留米図書館蔵、年代不詳
D『秋府諸士系譜』二、秋月郷土館蔵、年代不詳
E浅野陽吉『種痘の祖贈正五位緒方春朔』8頁、浅野陽吉、1935


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