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  緒方春朔 −わが国種痘の始祖−  
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天然痘関係歴史略年表

 

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其之四−「梅野信吉」
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4.痘苗関連年表

事項
1887
(明治20)
衛生局は再び各地方に牛痘種継所を設立することを勧奨し、その結果全国59力所に牛痘種継所の設立を見る。
1888
(明治21)
内務省衛生局所属の牛痘種継所は、省費節約のため大日本私立衛生会に委附され、同会は一定代価をもって痘苗を全国各地に供給することとなる。
1891
(明治24)
人伝牛痘苗の使用を廃止し、再帰牛痘苗をもって種痘することに改訂す。接種方法も切皮式となる。
1892
(明治25)
伝染病研究所(大日本私立衛生会所属)設立さる。
所長北里柴三郎、牛痘種継所顧問となる。
1893
(明治26)
デンマークのN.フィンゼン、痘瘡の赤色光線療法を提唱す。
英文の用法を添付した外国向けの痘苗も製造される。
1894
(明治27)
北里柴三郎、痘苗製造用犢の健康診断にツベルクリン熱反応の応用を開始す。
北里柴三郎・梅野信吉、痘苗中の細菌減殺法として石炭酸添加の有効なことを発表す(6月)。
1896
(明治29)
痘苗製造所官制(勅令第105号)制定さる(3月)。
政府、東京と大阪とに国立痘苗製造所を設立し、純良な痘苗を廉価に供給することとする。
牛痘種痘法発見百年にあたり、上野公園において盛大な記念式典が行われる(5月14日)。
1897
(明治30)
台湾で行われている人痘種痘法を禁止す。
内務省衛生局長後藤新平、各国に参考用痘苗送付方を依頼し、ベルギー、オランダ、アメリカ、インドの痘苗が託送された。
1899
(明治32)
大日本私立衛生会所属伝染病研究所が官立伝染病研究所となる(3月)。
北里柴三郎、痘苗製造所顧問仰付らる(内閣)(4月11日)。東京痘苗製造所長心得を命ぜらる(内務省)(8月7日)。
1900
(明治33)
石神 亨、人痘の牛痘化に成功したことを報告す。
1901
(明治34)
この年から種痘は牛伝牛痘苗を用いて行うこととなる。
1902
(明治35)
梅野信吉、再帰牛痘苗の犢体継続法を確立する。
大阪痘苗製造所廃止され、痘苗製造は東京痘苗製造所のみで行うこととなる(12月3日)。
1902
(明治35)
北里柴三郎、痘苗製造所長に補せられる(内閣)(12月8日)。
1903
(明治36)
痘苗及び血清その他細菌学的予防治療品製造取締規則発布(6月)、7月より施行さる。
1905
(明治38)
痘苗製造所は国立伝染病研究所に合併される(4月1目)。
1906
(明治39)
台湾において人痘種痘法を行うことを重ねて禁止する。
国立伝染病研究所第5部長梅野信吉、痘苗製造に関する業務を担当す。
1907
(明治40)
梅野信吉・武藤熊三郎、牛痘が容易に得難いものであること、日本に牛痘発生の記録のないことを述べる。
1908
(明治41)
国立伝染病研究所、大韓帝国京畿道仁川港松林里に粗苗採取を目的とする出張所を設く。
1909
(明治42)
梅野信吉、人痘の牛痘化に成功したことを報告す。
種痘法発布さる(4月)。種痘には牛痘苗を用いること、定期種痘は2期とし、第1期は出生より翌年6月に至る間、第2期は数え年10歳とする等を定める。
1910
(明治43)
1月より種痘法実施され、この年以降名実共に再帰牛痘苗で種痘が行われることとなる。
1914
(大正3)
北里柴三郎、国立伝染病研究所長を辞して北里研究所を設立す。梅野信吉、北里研究所に移り痘苗業務を担当す。
国立伝染病研究所の痘苗製造事業は、内務省所管から文部省に移される(10月)。
城井尚義、梅野信吉に代わり国立伝染病研究所の痘苗業務を担当し、牛化人痘苗の製造を開始す。
1917
(大正6)
城井尚義、痘苗力価の検定法として不全免疫犢体接種法を発表す。
1919
(大正8)
城井尚義ら、人痘の牛痘化に成功したことを報告す。
1922
(大正11)
北里研究所、朝鮮慶尚北道大邱府に粗苗採取を目的とする出張所を設く。
1929
(昭和4)
矢追秀武・笠井久雄、精製痘苗を作製し、これを用いて皮下種痘を実施すべきことを提唱す。
1939
(昭和14)
A.W.ダウニー、牛痘ウイルスと種痘に用いられているウイルスとの間に差のあることを報告す。

参考文献
1)添川正夫『日本痘苗史序説』近代出版、東京、1987
2)小高健『傳染病研究所』学会出版センター、東京、1992
3)『麻布獣医学園同窓会会報特集号−麻布大学90年史、創立90年記念』1981
4)福岡県教育委員会編『福岡県教育史』1957
5)北里研究所編『北里研究所50年誌』北里研究所、東京、1966
6)宮島幹之助編『北里柴三郎伝』北里研究所、東京、1933
7)『知久清之助自叙伝』(麻布獣医大学助教授 松田基夫氏資料)
8)上野敏氏資料(甘木市川原町)
9)安岡朝嘉氏資料(甘木市金川町)
10)福岡県学務部編『郡史資料』第5号
11)富田英壽『種痘の祖緒方春朔』35頁、西日本新聞社、2005
12)柴多一雄「緒方春朔と秋月藩」甘木朝倉医師会編『シンポジュウム「種痘の始祖・緒方春朔先生に学ぶ」講演記録集』8頁、甘木朝倉医師会、1990
13)『御家中略系譜』巻九、久留米図書館蔵、年代不詳
14)『中扈従徒士略系図』二、久留米図書館蔵、年代不詳
15)『秋府諸士系譜』二、秋月郷土館蔵、年代不詳
16)浅野陽吉『種痘の祖贈正五位緒方春朔』8頁、浅野陽吉、1935

※2006年3月20日に3市町(甘木市、朝倉町、杷木町)の合併により、新市「朝倉市」となる。
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