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【緒方春朔屋敷跡】
 「杉の馬場」から西へ伸びる脇道へ入ると城下町らしい民家が続きます。
 路地から見える民家にも、外壁だけは取り壊さず、当時の面影を残しているところもありました。ウォーキングマップを見ながら進みますと、「ろまんの道」というアジア工芸品店がありました。地元ではタウン誌などに紹介されたこともある有名店だそうです。

 ここから右折すると右手に「春朔の屋敷跡」という看板がありましたが、現在は民家となっていました。
陶板−案内板の写真
(写真左)秋月の街角で目にするこの秋月観光案内陶板の版画は、朝倉市在住の版画家佐野至氏の手になるものです。コミカルで暖かみがあり、見ていますと何かしら懐かしい気持ちにさせてくれます。佐野至氏は甘木朝倉での文化活動にも熱心に取り組まれていらっしゃいます。
春朔屋敷跡前−案内板の写真

【長生寺
長生寺本堂の写真 国道322号線を挟んで「杉の馬場」の反対側の道へ100mほど入って行きますと、右手奥に長い参道が見えてきます。高い石段を昇って行きますと、春朔の墓が建立されている「長生寺(ちょうしょうじ)」がありました。
長生寺は慶長5年(1600年)長崎の豪商、末次興膳善入が85歳の記念に建てたもので、秋月の乱の指導者宮崎車之助三兄弟の墓もあります。長生寺の案内板の写真
 本堂は最近建て直されたらしく、少々今風の建物でしたが、山門は当時のものがそのまま使われていました。看板らしき板(山号額)には、大きな筆字で「医王山」と書いてありました。
 この「医」とは春朔と関係があるのかしら?と疑問に思い、ご住職へ伺ってみますと「昔は「育王山」といっていましたが、元々ご本尊さまが「薬師如来」ということで、そこから呼び名が変わっていったようです。」と語ってくださいました。
 緒方春朔とは直接関係はなかった訳ですが、元々ご本尊さまが薬師如来というのは、なんとも不思議な「縁」を感じました。

◆緒方春朔の墓◆
緒方家墓所の写真
 緒方春朔は、種痘の研究・人痘種痘法の全国への普及に尽力した後、文化7年(1810年)1月21日、63歳で没しました。山門から入って右奥の緒方家代々のお墓に埋葬してあります。
 しばらく、手を合わせお参りし、長生寺を後にしました。


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