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2008年4月1日 甘木朝倉医師会病院は朝倉医師会病院と名前が変わっております。
病院は三奈木から立石に移転し、記念碑も立石の病院入口(前庭)に移転しております。
詳しくは朝倉医師会病院のホームページをご覧ください。

朝倉医師会病院

【朝倉医師会病院】

甘木朝倉医師会病院  朝倉医師会の前身「医師同業組合」は、秋月藩医緒方春朔が日本において、初めて人痘種痘法を完成させ種痘に成功して以来、その偉業を達成した春朔の精神を受け継いだ医師たちによって作られました。
 この組合は、明治39年「医師会」と改称し、大正9年に「朝倉郡医師会」となり、昭和29年に「甘木朝倉医師会」さらに平成20年に現在の「朝倉医師会」となりました。
 大正4年には春朔から五代目の、緒方駒雄氏が初代会長に就任されたそうです。記念碑は、医師会病院の玄関前左手に建立されていました。この記念碑は平成2年7月、春朔の種痘成功200年を記念して建立され、盛大な記念式典が催されたそうです。
 緒方春朔は、中国からもたらされた「人痘種痘法」を独自にアレンジして、木のヘラに痘痂粉末を盛り、これを鼻孔から吸い込ませる方法を考案したそうです。当時としては画期的な手法でした。
 レリーフには、緒方春朔が最初にその方法を試した大庄屋天野甚左衛門の2児への種痘の様子が描かれていました。医学の進歩と共に接種方法なども改良され、天然痘の根絶により種痘が廃止された昭和51年まで、腕に接種する方法が採用されていたそうです。
 秋月城祉の顕彰碑や、背丈以上もある立派な記念碑を拝見して、緒方春朔がいかに朝倉市民に尊敬され、親しまれているのかを改めて知ることができました。


緒方春朔種痘成功200年記念顕彰碑
緒方春朔種痘成功200年記念顕彰碑
顕彰碑除幕式:平成2年7月29日
建立者:甘木朝倉医師会,福岡県医師会
レリーフ作者:彫刻家 斉田文夫氏

緒方春朔種痘成功200年記念式典の詳細へ


史跡探訪者
熊本でSOHOとしてご活躍中のお二人です。
今回はお疲れさまでした。初めての甘木はいかがでしたか?

野村さん  
Office
アプリコット
甘木ってのどかで良い街ですね〜。
秋月へ行く途中の小石原川の河原なんかで、のんびり水遊びしたくなりました。西田さん、方向音痴のナビゲーターでめんぼくないです。

西田美和さん  
Office
Green Spice
途中、道に迷ったりしましたが、野村さんの野性的な勘で無事目的地に辿り着きました。(笑)今度は紅葉の頃、母を連れて甘木まで放浪の旅にでかけようかなと思っています。

探訪日:平成14年3月28日 (追記 平成28年5月12日)
企画・編集:A.W.D
協力:秋月博物館,長生寺, 朝倉医師会病院、甘木歴史資料館
監修:富田英壽

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