2008年4月1日
甘木朝倉医師会病院は朝倉医師会病院と名前が変わっております。
病院は三奈木から立石に移転し、記念碑も立石の病院入口(前庭)に移転しております。
詳しくは朝倉医師会病院のホームページをご覧ください。
【甘木朝倉医師会病院】
秋月から「甘木朝倉医師会病院」へは、県道80号線を通るルートを選びました。しばらく行きますと、左側に美奈宜の杜(みなぎのもり)と秋月CCが見えてきました。その中に入って行くように左折し直進して行き矢野竹の三差路を右折しますと「あまぎ水の文化村」の正面ゲートに出ました。ここを左手に寺内ダムの堤防を見ながら南下し、国道386号線へ出て十文字交差点より左折、500mほど行きますと左手に「甘木朝倉医師会病院」の大きな建物が見えてきました。
甘木朝倉医師会の前身「医師同業組合」は、秋月藩医緒方春朔が日本において、初めて人痘種痘法を完成させ種痘に成功して以来、その偉業を達成した春朔の精神を受け継いだ医師たちによって作られました。
この組合は、明治39年「医師会」と改称し、大正9年に「朝倉郡医師会」となり、昭和29年に現在の「甘木朝倉医師会」となりました。
大正4年には春朔から五代目の、緒方駒雄氏が初代会長に就任されたそうです。記念碑は、医師会病院の玄関前左手に建立されていました。この記念碑は平成2年7月、春朔の種痘成功200年を記念して建立され、盛大な記念式典が催されたそうです。
緒方春朔は、中国からもたらされた「人痘種痘法」を独自にアレンジして、木のヘラに痘痂粉末を盛り、これを鼻孔から吸い込ませる方法を考案したそうです。当時としては画期的な手法でした。
レリーフには、緒方春朔が最初にその方法を試した大庄屋天野甚左衛門の2児への種痘の様子が描かれていました。医学の進歩と共に接種方法なども改良され、天然痘の根絶により種痘が廃止された昭和51年まで、腕に接種する方法が採用されていたそうです。
秋月城祉の顕彰碑や、背丈以上もある立派な記念碑を拝見して、緒方春朔がいかに甘木市民に尊敬され、親しまれているのかを改めて知ることができました。
緒方春朔種痘成功200年記念顕彰碑
顕彰碑除幕式:平成2年7月29日
建立者:甘木朝倉医師会,福岡県医師会
レリーフ作者:彫刻家 斉田文夫氏
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