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【天野甚左衛門顕彰碑】
  秋月の駐車場へ戻り、次は天野甚左衛門顕彰碑へ移動します。
国道322号線を南へ少し戻り、長谷山の交差点を左折し国道500号線を上秋月へと向かいます。 横には小石原川が流れており、夏にはホタルが見られるそうです。
上流には大きなダム(江川ダム)が有るみたいですね。

長谷山の交差点から1.3km行くと左手に上秋月公民館の入り口がありました。
小さな入り口なので最初は、本当にここ?と少し心配しましたが数十メートル進むとすぐ右手に広場が見えます。

良かったここだ!
顕彰碑も見えます。

天野甚左衛門顕彰碑   天野甚左衛門顕彰碑

顕彰碑の左には、疱瘡塔と呼ばれる供養塔が並んで立っており、この石塔の横に説明文があるので、その説明文を読んでみると・・・
たてられた時期は不明なのですが、おそらく江戸時代に天然痘で亡くなられた人々を供養するために建てられたものとか。

天然痘で大切な家族を失った悲しい思いと、天然痘の恐怖を現代に伝える貴重な遺産なんですね。





天野甚左衛門顕彰碑
 寛政2(1790)年、秋月藩医 緒方春朔は日本で初めて種痘を成功させました。 これは、我が国における天然痘撲滅の第一歩であり、治療から予防へと日本の医療が新たな領域へと踏み出した歴史的契機と伝えるでしょう。春朔のこの偉業は、これまで朝倉医師会による顕彰活動の他、医療関係を始めとする各種出版物などでも紹介されてきました。  しかし、種痘の成功は彼のみの力で成しえたものではありません。その裏に、天野甚左衛門という人物が重要な役割を果たしていたのです。当時、多くの子供たちの命を奪ってきた伝染病である天然痘に対する恐れから、種痘に対する恐怖・偏見もまた取り除きがたいものでした。そのような中、春朔の研究を支え、彼が考案した人痘種痘法を信頼し、最初に我が子への種痘を申し出たのが、上秋月の大庄屋であった天野甚左衛門なのです。緒方春朔への評価が高まる一方で、郷土の人でさえよく知らないというように、甚左衛門の功績については正当な評価を得ているとは云い難い状況といえます。  このためこの会では、種痘の成功に不可欠な役割を担った天野甚左衛門に光を当て、郷土を代表する一人物として、後世に語り伝えるべく、その功績を顕彰することを目的としています。

この顕彰碑は天野甚左衛門顕彰碑建立実行委員会が建立しました。
除幕式 2015年2月14日

車で移動次は朝倉医師会病院へ

※2006年3月20日に3市町(甘木市、朝倉町、杷木町)の合併により、新市「朝倉市」となる。

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